昨年の夏から歩行困難となり、施設のお世話になっている母を見舞った。
物憂げな表情で宙を仰ぐ彼女の姿をおさめた。
アルツハイマーという病の深刻さは理解しているつもりでいたが、
見方をかえればいろいろなのものごとから開き放たれてゆくのではないかという、
僕のとても身勝手で都合の良い解釈は一瞬で崩壊した。
この表情の奥に一体どんな気持ちを抱いているのだろう?
瞳で見つめるものをどんなふうに感じているんだろう?
施設で過ごす長い一日を、時を、どんなふうに感じているんだろう?
どうすれば気分がよくなるんだろう?
叶うなら幸せそうな笑顔をもう一度だけ見たい。
叶うなら失われて行く記憶の最期の一片が、せめて楽しい思い出のかけらであってほしい。
願いは尽きないけれど、まずは母がこうして生きていられていることに
感謝することから今年の一歩としよう。

物憂げな表情で宙を仰ぐ彼女の姿をおさめた。
アルツハイマーという病の深刻さは理解しているつもりでいたが、
見方をかえればいろいろなのものごとから開き放たれてゆくのではないかという、
僕のとても身勝手で都合の良い解釈は一瞬で崩壊した。
この表情の奥に一体どんな気持ちを抱いているのだろう?
瞳で見つめるものをどんなふうに感じているんだろう?
施設で過ごす長い一日を、時を、どんなふうに感じているんだろう?
どうすれば気分がよくなるんだろう?
叶うなら幸せそうな笑顔をもう一度だけ見たい。
叶うなら失われて行く記憶の最期の一片が、せめて楽しい思い出のかけらであってほしい。
願いは尽きないけれど、まずは母がこうして生きていられていることに
感謝することから今年の一歩としよう。


今年の年賀状にはどう書けば良いのかでしばし悩む。
「明けましておめでとうございます」という言葉や
「Happy New Year」と無意識に書けていた頃が
実は一番幸福な時代だったのかもしれない。
震災で未だに避難所で寒さに凍えながらサバイブしている人たちの苦労を考えると、
とてもじゃないが能天気なトーンでは書けない。
毎年200枚ほど賀状を書いてきたが、
今年ばかりは文面に悩んでしまう。
世間はクリスマス。
幸せそうなカップルを見かけるとつい忘れてしまいがちになるけれど、
やっぱり未曾有の被害を及ぼした天災の被害に遭われた方々の事を考えてしまう。
仕方の無いことだったのかもしれないが、
今となってはメディアでとりあげられる機会もずいぶんと減ってしまった。
こんなんで良いのだろうか?
今月からとんでもないプロジェクトにPMとして参加するようになって、
毎日の忙しさに追われ、あまりその辺の整理ができていない。
皆様はどのような賀状を出すのですしょう?

房総半島にはまだ自然が残っている。
この静かな流れの川辺で小説を書いてみたい。
でも僕はこのとき、失意の真ん中で彷徨っていた。
鳴らない携帯電話を握りしめて。
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